言って欲しいんですよ

俳優の仕事が忙しくなった北斗とは、プライベートで会う時間が減っていった。その穴を埋めるためにか、最近家に来ることが多くなった。そのくせ、自分の時間を大切にしたいからと空いている部屋を勝手に使うようになり、籠りたいときはその部屋に入って出て来ない。その代わりに、何かのスイッチが入った時にはべったりで、最近何も言わずに甘えてくるからどうしたものかと情緒を心配するくらいだ。
今日も家に来たと思えばすぐに部屋に引きこもってしまった北斗を横目に、俺はいつものようにゲームしていた。数時間は没頭していただろうか。ある程度でゲームを止め、動画を見始めていた俺のところに、漸く北斗がリビングへ出てきた。ソファーに座っていた俺の膝の上に寝転がり、何をするでもなく目を瞑った。今日は、甘えたい日らしい。
仕方なく俺は短くなった黒髪の北斗の髪を撫でながらスマホを眺める。さらさらしているその髪を撫でながら整った顔をちらりと見ると目が合った。俺の顔をじっと見ていて、手に持ったままだったスマホを傍らに置くと何も言わずにただ、撫でてやった。
北斗の黒い目が俺を見上げている。何か言いたいことでもあるのだろうかと撫でるのを止めると、北斗の手が俺の手首を掴んだ。
「止めないで、もっと撫でてて」
透き通った声で北斗が言った。ああ、なんだ少し参っているのか?そう思って仕方なく頭を撫でるのを再開させる。そうしていると北斗は気持ち良さそうに息を吐きながら目を瞑った。眼鏡の奥の長い睫毛が瞼を縁取ってより綺麗な顔を際立たせている。何となく、北斗が掛けている眼鏡をそっと外すとそれに気付いた北斗が薄っすら目を開けた。その目と目が合うと、頭を優しく撫でた。
「起きんな。寝てろ」
目を開けた北斗にそう声を掛けると、北斗はゆっくり目を閉じる。眼鏡は壊さないようにそこらへんに置くと、またその髪を目一杯甘やかしてやろうと丁寧に撫でた。
そんなふうに北斗に頼られて甘えられると、傍にいて良かったと思うし、俺が傍に居て良かっただろう?と押しつけがましく言ってやりたくなる。
ただ、一般的な恋人感というか、そういう雰囲気を出すのがお互い苦手で、甘えるぞと気持ちを切り替えなければ、照れくさくて中々出来ない。その筈なのに、突然家に来るようになった北斗がベタベタしてくるようになって、戸惑いが無い訳では無い。動揺しているし、変に胸がドキドキして心臓に悪い。でも嬉しい。いや、恥ずかしい。
でもこうやって甘やかしてやれんのは俺しかいないんじゃね?と思っている。
暫くすると膝の上で寝息を立て始めた北斗に手を止め、スマホを拾い上げ、小さな音で見ていた動画を再開させた。ただ、膝の上にある温かい体温に自分まで睡魔に誘われる。一人で暮らしていると不規則になりがちな俺の生活が、北斗が入り浸ることで規則正しいものに変わっていき、北斗が先に終わって俺が遅い時はご飯を作って待ってくれていたりする日々が続いている。お前は嫁か、と言いたくなるくらいで、俺の胃袋を掴みたいのか分からないけれど、あまり食事に頓着が無いのを心配されているのは確かだ。
北斗のお陰で夜になると勝手に眠くなってくるようになってしまった。そして今も北斗の体温や人の寝息に安心して、段々と瞼が重くなってきた。俺はソファーに寄り掛かると、少しだけ目を閉じた。

「樹、おーい」
北斗の優しい声で目が覚める。隣で起こすためか頬を触っているその指がそっと離れていく。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
少しだけ眉を寄せて北斗の方を見ると、いつもまにか俺が外した眼鏡をつけている。「寝てた?」とか「いつ起きた?」と頭では思っているのに寝ていたせいか言葉が出て来ず、眼を擦り、口を開けた瞬間、いつの間にか至近距離にその顔にそのまま唇を奪われた。
突然キスをされて反応できないまま、北斗の唇が離れると、至近距離にある目がじっと俺を見つめる。まただ。最近、この目で俺の事をじっと見ている。俺の事を見透かしたいのか、何か訴えたいのかよく分からない。北斗のことならなんでも分かると思っていたのに、恋人になってからまた分からないことが出てくるし、見えなくなることもある。北斗はどう思っているんだろうか。そうは思うけれど、また顔が近付き、唇に唇が触れ、受け入れて目を閉じた。
北斗の舌が隙間から割って入ってきて、深いキスに変わった。ちゅ、とリップ音がすると、身体の奥がぎゅっとなる。生暖かい北斗の舌が俺の舌に絡まると、俺もそれに応えて絡ませた。
唾液が絡まって気持ち良くて、舌で上顎を舐められると背中がぞくぞくする。その後、舌を吸われてまた舌が絡まると、その熱量に思わず逃げ腰になる。
明日は仕事だ。北斗とは頻繁にセックスしないからか、一回のセックスで疲弊する程抱かれてしまう。明日の身を案じて慌てて身を捩るけれど、逃げようとする俺の腕を掴んで引き寄せられてしまう。逃がさないと言わんばかりにぴったり唇を塞がれ、歯列をなぞられ、口内を愛撫する舌が這いまわって、唇が離れる頃には北斗の舌でとろとろに溶かされてしまう。
好き勝手に貪られ、荒い息を吐きながら目を開けると、北斗がじっと俺の目を覗き込んでいて、逃げ腰の俺の腰をなぞって吐息交じりに囁いてきた。
「……樹、いや?」
「いやって、わけじゃない、けど、明日仕事、」
満更でもないってことは分かっているだろうが、明日の仕事に支障があるとまずい。俺の言葉に北斗の動きが止まると、絶望の表情を浮かべて分かりやすく項垂れた。ちゃんとスケジュールを確認していなかったのだろうか。仕事という言葉を聞いた北斗はあからさまに落胆して、頭を抱えた。
「あー……早いやつ?」
「……早いやつ」
その様子に苦笑いしながら俺が頷くと、泣きそうな顔で眉を寄せ、溜息を吐いている。そして、諦め悪く勿体無いと言わんばかりに俺の唇を舐め、もう一度キスすると名残惜しそうに唇を離した。が、未練がましく唇をじっと見詰めてくる。
「なに、お前、」
「なにって、樹としたかったから」
「突然すぎんだよ、」
「ごめん、じゃあ明日は?」
明日って、お前明日もここ帰ってくるつもりかよ、と悪態をつきそうになったが飲み込んだ。あまりに必死な顔をしていて可哀想になり、仕方ないかと目を逸らし、溜息を吐いた。
「明日なら、いーけど……」
小さくそう溢せば、大袈裟なくらいすぐに顔を上げて、反応してみせた。
「やった!じゃあ明日。絶対な」
ガッツポーズをした後、北斗は言質を取ったと言わんばかりに肩を掴んで確認してきた。その必死さに、笑ってしまった。
北斗は約束を取り付けて安心したのか嬉しそうで、その顔を見ていたら恥ずかしくなってきた。こいつ、本当に俺のことが好きなんだと、当たり前なのにそう思ってしまった。
そして、何かを思い出したように俺のスマホを拾い上げた北斗が画面を見てから「ちょっと待ってて、」と言って立ち上がった。スマホを俺に返し、そそくさと北斗の部屋と化してしまった先に戻って行く。なにかあったのかとその場で待っていると、時間を置かずにすぐ戻って来た。
手には袋を持っていて半透明の中身がうっすらと見える。目を凝らしてよく見てみると明らかにケーキの箱だった。状況が飲み込めないまま目をぱちぱちと瞬きをしていると、北斗が笑った。
「火、つけて持ってこようかとも思ったけど俺ライター持ってなかったわ」
「あー……あ?」
「樹、誕生日おめでとう」
「あ?」
漸く先程手の中に戻されたスマホの画面を見ると、いつの間にか日付を超えていた。その日付は俺の誕生日だった。
それに気付いて恥ずかしくなってきた。変な声しか出てこないし、ボケることも出来ずに、困った顔で北斗に顔を向ける。相当変な顔をしていたのか北斗がこらえきれずに吹き出した。
「あはは、とりあえず食べようか。クーラーボックス部屋に置いて氷入れまくってたから大丈夫だと思うけど……」
「……おまえ、俺の家にいつのまに持ち込んでたんだよ」
「そりゃ、びっくりさせたいじゃん?」
最近入り浸っていたのは、サプライズするためでもあったのかと合点がいった。そして、してやられたと悔しくなったと同時に、嬉しいと感じている自分に驚いた。ただ、喜んでいるのがバレてしまうのは恥ずかしく、なんでもないふりをしている俺を、北斗はニヤニヤしたまま見ている。そして机にケーキを置いて席を立つと、てきぱき手際よく紅茶を準備し、皿とフォークを持ってきて机に置いた。北斗はうきうきしながら箱の蓋を開け、俺に見えるように箱の中身を少しだけ傾けた。中はホールケーキではなく、四つの味が違うカットケーキだった。
「樹好きなの選んで」
「あー……じゃあこれ」
目の前のケーキを良く見て吟味し、イチゴが乗ったショートケーキを選ぶと、北斗はすでに目を付けていたのか、チョコケーキを箱から出した。ケーキは皿に乗せられ、目の前に差し出されると、箱は一旦閉じられ、北斗はそれをキッチンへと持って行く。冷蔵庫に入れたようで、直ぐに戻ってきて俺の前に座った。
「明日はもう一つの方食べよう」
そう言いながらフォークを手に取り、「頂きます」と言った後、俺を見ている。どうやら先に食べるのを待っているようで、慌ててフォークを手に取ると、皿の上に乗った美味しそうなケーキにフォークを入れる。柔らかなスポンジを一口大に切ると、ケーキを口の中に入れた。
甘くて美味しいそれに幸福感で満たされ、心がふわふわしている。北斗も美味しそうに食べていて、自分ももう一口咀嚼し、紅茶を手に取って飲むと、北斗に話し掛けた。
「あのさ、北斗」
「ん?どした?珈琲の方が良かった?」
「いや、今日セックスする?」
俺がそう言うと目を大きくした北斗が慌ててケーキを机に置くと突然前のめりになったものの、喋ろうとした瞬間ケーキが変な気管に入ってしまったのか盛大に咳き込み始めた。俺は北斗の慌てように呆れながらも、自分の持っていた紅茶を渡してやると、苦しそうにしながら受け取り、喉に流し込んで大きく息を吐いた。俺はその様子をにやにやしながら見て、きたねーな、と悪態を吐くと北斗は動揺したまま俺の顔を覗き込んできた。
「じゅり、いい、いいの?本当に?」
「明日仕事だから手加減するなら」
「えー……や、頑張る、わ。頑張らせて」
「その意味はどっちの頑張るだよ」
どちらともとれる言い方に、本当にこいつ大丈夫なのかと心配になる反面、嬉しそうな北斗の顔を見ていると、顔が勝手に緩んでしまう。俺は目の前に置いていたケーキを一口食べると、北斗も思い出したようにケーキを食べるのを再開させる。
けれど北斗は冷静になろうと努めながらも目をギラギラさせていて、その目に見られていると段々と自分で「しよう」と提案したことが恥ずかしくなってきた。
つい照れ隠しに眉を寄せて睨むと、北斗はそわそわし始める。そのあからさまに変な態度におもわず声を掛けた。
「……なんだよ。気持ち悪いぞ、」
「いや、あの、さ」
「んだよ」
「あのさー、あ、愛してるよ」

ぎこちなくそう言った北斗に、一瞬ぽかんとしてしまった。そして言葉を理解してすぐに、食べていたケーキが先程の北斗と同じように気管に入り盛大に咽せた。ゴボッゴホッと大きく咳をする俺に、北斗が慌てている。

俺も愛してるなんて、恥ずかしくて言えるわけないのに、俺に紅茶を渡しながらもちらちら見てくる北斗の顔が少し期待していて、ああ、もしかしてそう言う言葉をずっと言いたかったのと、欲しかったのかと気付いてしまった。
紅茶を手に取って喉に流し込むと、少しだけ違和感がある喉を整える。そして勿体ぶって溜息を吐いてから、口を開いた。

「ばーか」
「おい~……!」
期待していたのか、北斗は俺の言葉に落胆して見せる。
俺はそれを見ながら、「愛してるよ」って、心の中でだけで言ってあげた。

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