絶妙な距離感で

「お前いつになったら俺んち来るの?」
前の仕事が終わってそのまま来たラジオの楽屋。時間まで各々好きなように時間を潰していると、座敷タイプだったこともありごろごろしていた樹に突然言葉を投げられた。
俺は台本を閉じて眉を寄せながら声の主を見ると、スマホから顔を上げた樹が俺の顔をじっと見ていた。
言っておくが行きたくない訳じゃない。誘ってくる割にのらりくらり躱してくるのは樹の方だ。恨みがましく樹の顔を見ると素知らぬ顔で鼻で笑いやがった。
「こねーの?」
「樹。いいんだな?襲われても文句いわねーんだな?」
何十回と言ったセリフをいつもと同じように樹にぶつけると、首を傾けて「いいよ」とも「だめ」とも言わずに片眉を上げ、何とも言えない顔をする。
そのまま何も言わずに満足そうにスマホに視線を戻し、何食わぬ顔をしている。俺もそれ以上何も言わないようにしていた。なんだかんだと文句を言いつつもこのいつものやりとりも嫌いではなかった。樹はこうやって、俺が樹の事を好きだってことを遠回しに確認する。俺の気持ちに応えるつもりもないくせに。
樹にこの気持ちがばれたのはいつ頃だっただろうか。多分自覚してすぐ、変な態度を取ってしまったせいですぐに樹は気付いたんだと思う。
樹に嘘を吐くのが難しい。言葉で聞いてこなくてもわざと思わせぶりな態度をしてきて俺の反応を見て、確信したんだと思う。手を触って来たり、顔を寄せて来たり、俺の駄々洩れな好きって表情を上手く引き出してきて、意味ありげに笑う。その延長でこうして楽屋に戻って来た時や移動中、誰もいないときに不意にキスをして俺の気持ちを弄んだり、唇なぞって触って来たり、わざと舌を見せて煽ったり、確信犯だ。
俺がどこまでしたら踏み込んできてどこまでを許してくれるかを測られてるようで、遊ばれているとは思う。過去に一度だけ爆発して壁に押し付けてその細い身体に手を這わせてしまったことがあった。まあ、思いっきり蹴られてしまったし、そのおかげで理性も取り戻せて結局お礼を言ってしまったのだけれど、そういうことがあって樹の前でだけは樹に対する気持ちを隠さなくなった。ただ、俺から好意をアピールすることはしなかったからか、樹が初めて家に遊びに来いと言ってきた時に、思わず今はもう言い慣れてしまったそのセリフを返した。樹はそれが気に入ったのか、ずっとこのやりとりは続いている。多分樹が満足するまでこのやり取りは続くんだろうなと思う。
でも、今日はいつもより踏み込んでみたい気分にはなった。そのいつも余裕そうな顔を崩してみたい。たまには仕返ししてやりたいが、いつも行動を見透かされて逆にイジられるのだからいつも樹の掌の上だ。そういう事もあってあまり、仕返しは成功したことが無い。
だからこそ、たまには優位に立ちたいと思うのは普通の事だろう。
じっと樹を見ているのに当の本人はスマホから顔を上げず、ずっと動画に集中している。座っていた身体をごろりと寝転がらせるとやっと俺の視線に気付いたのか、スマホから目線をずらして俺を見てきた。
それを合図に樹に近付いてその身体に覆いかぶさり、樹を見下ろした。予想していなかった俺の行動に、少しだけぱちぱちと瞬きをした樹が考えるように目を逸らし、スマホを置くと俺を見上げた。
その目を細めて、抵抗する気がありませんとアピールしたいのか、横に向いていた身体を仰向けにして俺の顔を見つめてくる。
てっきり頭を叩かれて怒られるか嫌そうな顔をされるか、そう予想をしていたのにしおらしい彼に心臓が飛び跳ねた。
「……触んねぇの?」
わざとらしく色っぽい声を出し、囁くように小さく唇が動く。俺が目を奪われていると、伸ばされた細い腕が俺の髪を触って撫でた。
鼓動がバクバクうるさくて、でも多分触ったらそこでまた躱されるかもしれないと思うと、動けなかった。
この樹を脳裏に焼き付けたい。少しでも長い時間見ていたい。
そう思って樹を見つめていると、苦笑いした樹が首に腕を絡ませてきて、力を入れたその腕に引っ張られた。
一気に近くなったその顔は意気地がない俺をあざ笑っているかのようで、意味ありげに舌を出して唇に触れようとして、止めた。
そうやって煽られ、樹から目を逸らしたくて顔を横に向ければ、耳元に息を吹きかけられた。
「……っ樹、」
「はは、北斗偉いじゃん。我慢出来たな」
「……俺で遊ぶな」
じとっと恨みがましく樹の方に視線を戻せば、満足そうに樹が笑っている。まるで犬にでもするように頭を撫でられて、負けを自覚する。
身体を起こして樹の上から退くと、樹も身体を起こした。遊ばれていることに、悲しくなることがある。今日も、それだ。
拗ねるように樹に背を向けると、先ほどまでいた場所に這って戻った。置いていた台本を手に取り溜息を吐き、再びそれを開いた。
自分の内側に籠って、ラジオまでに気持ちを切り替えたかった。
離れていった俺を樹の視線が追ってくるのを感じながら、悲しくなってしまったその感情に蓋をする。台本に集中しようとしていると、樹が立ち上がった音がした。
畳を摺るような音を立てて俺の近くまで来ると、樹が目の前に座って台本を俺の手から取っていった。
「……なに、」
「そんな顔するなって」
「お前の事好きなんだから仕方ねぇだろ」
つい、拗ねた声が出てしまい、樹から目を背けた。我ながら子供っぽいと思ってしまう。もう充分大人だというのに、樹の前では感情が暴走してしまう。好きという感情も、何もかも。
それだけ俺にとって樹は、特別な人なんだ。
「……我慢出来たご褒美、あげようかと思ったんだけど」
「……ご褒美?」
「そー」
つい、その言葉に樹の方に視線を戻すと、樹が慈しむように俺を見ている。仕方なく台本を置けば、手を伸ばして頭を優しく撫でてくる。その優しい手に泣きそうになってしま。俺の感情は樹のせいで、不安定だ。
優しく頭を撫でていた樹がそのまま肩に手を滑らせ、俺の腕を取るとその手を少しだけ引っ張ってきた。何がしたいのか分からず見ていると、樹がTシャツの裾を掴んでするすると捲っていく。露になっていく樹の臍や腹筋が綺麗で、驚いている俺の掌が樹によってその綺麗な腹に押し付けられた。
「じゅ、り」
「さわっていーよ、」
樹の甘い声にぞくりとした。
遊ばれているのは重々承知でそれ以上望んではいけない。そうやって自分を戒めながらもこのチャンスは逃してはいけないと息を吐き、指に力を入れる。
その腹筋を指でなぞり沿っていけば、時折樹が息を吐きながら身を捩らせる。その反応に理性が吹っ飛んで爆発しそうになるのをなんとか耐えた。腹筋の溝を指でなぞり、樹の表情を見ながらそのままその指をゆっくり上にあげていくとそれに合わせて樹が服を捲っていった。
少しずつ指が上がっていき、ちらりと見えた突起に、目を奪われて思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。見慣れているはずのそれが服の中から覗くといやらしく見えるのは何故なのだろうか。俺が食い入るように見ていたのか、ふっと樹が笑った声で我に返り、恥ずかしくなった。
でも、それを咎められはせず、樹の顔を盗み見ながらも突起を指で触ると、少しだけ樹は息を詰める。けれど止めることはしない。すり、と確かめるように指でそれを触り、何も言わない樹に突起を摘まみ、少しだけ力を入れて擦った。
「ん、」
樹がぴく、と身体を震わせると微かに声を漏らした。その瞬間、身体が一気に熱くなって顔まで赤くなったのが分かった。
艶めかしくいやらしく声を漏らした樹が、目を細めてまた煽るように笑うから、思わず息を止めてしまった。
触っていた手で樹の服を引っ張り、その服を下げさせると顔を横に向けて思わず目を逸らした。
耳まで熱くなっていて、赤くなっているのが分かる。突然止めた俺に驚いたようで、何も言わなかった樹が動揺している俺の手を軽く叩いた。
「北斗、シャツ伸びる」
「、あ、ごめ」
落ち着こうと息を吐いていると、樹に声を掛けられて慌ててシャツから手を離す。視線を戻せば彼は、眉を下げて笑っていた。
「お前ってさー」
「……なんだよ、気持ち悪いとか言うなよ、傷付くから」
呆れた顔をしているのを見ると悪態を吐かれそうで、先手を打てば樹は膝立ちになり、上から髪をくしゃくしゃと撫でてきた。
「可愛いな」
「、はぁ!?」
普段言われない言葉に思わず目を見開いて樹の顔を見上げ、叫ぶように大きな声が出してまった。それが煩かったのか、撫でていた手で頭を叩かれた。
「ってぇ……!」
「ばーか」
叩かれた頭を押さえながら抗議の目を向けると、樹の手が頬を包みその身体を屈ませた。近付いて来た唇が、俺の唇に柔らかく触れると直ぐに離れていった。
いつもの揶揄うようなキスでは無く、大事なものに触れるかのようなキスに思わず固まってしまった。
呆然としている俺をよそに、顔から手を離した樹が時計を見て、そろそろ呼びに来るな、と独り言を呟いた。
「で、いつ俺の家くんの?」
「……え?あ、」
「はは!」
いつものセリフを返せないくらい動揺している俺を見て、笑い転げる樹にまた顔が赤くなっていくのを感じた。

いつまで経っても樹が優勢で、俺は樹に勝てない。
でも、本当は知っている。俺が強引に行けば、樹は俺を受け入れる事。
なんだかんだ言って、樹が俺の事好きだってことも、知っている。
それは恋愛感情ではないかもしれないけれど、少なくとも、俺の事を愛している。

俺が、強引に進めなくてもいつか樹が俺を求めて来るまで、
この距離感で。

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