前の仕事が巻けたこともあり、楽屋に入ると誰も来ていないこともあって、当たり前だけれどとても静かだった。いつもは賑やかなその場所に居心地悪く感じながらもとりあえず中に入ると、一緒に来ていたマネージャーは楽屋から出て行ってしまい、俺一人になってしまった。
テーブルに荷物を置いてもなんとなく落ち着かず、帽子を脱いでバッグの上に置くと、銀髪の前髪が落ちて来て目にかかり邪魔で搔き上げた。
前の収録で軽くセットして貰っていたけれど、帽子を被ったせいで崩れてしまった。けれどどうせまた髪はセットして貰えるから構わない。
貰ったお茶のペットボトルと一緒にスマホを持ってソファーに深く座ると、暑苦しいマスクを顎までずらし、ペットボトルの蓋を外して一口お茶を飲む。さほど喉が渇いていたわけではなかったが、口寂しかった。
電子タバコも煙草も忘れてしまったせいだ。かといって買いに行ってもらうのも忍びなく、バッグにガムでも入れておけば良かったと後悔しながらもソファーに寄り掛かってスマホを取り出した。メンバー専用のグループメッセージを開くと『早くお前ら来いよ』と打って送信する。そしてすぐに動画アプリを立ち上げ、自分の好きなゲーム実況を見始めた。
暫くしてポンポン、と立て続けにメッセージを受信したけれど、自分で送っておきながらすぐには見ない。暫く動画を眺めていると動画の広告が入り、集中力が切れてから漸くメッセージを見た。
『おつかれー。まだ家すら出てないよ』『樹終わんの早くね?』立て続けに来ていたメッセージに、『前の仕事がかなり巻いた』と返事を打つと、『俺も予定より早く終わったからもうすぐ着くわ』と、北斗からメッセージが届いた。もし誰よりも早くここに来たら、久しぶりに二人っきりの時間になるな、とふと思った。
メンバーには言っていないけれど、実は北斗と付き合っている。けれど仕事優先の俺たちはここのところお互い休みが合わず、二人っきりでゆっくりなんていう時間は全然取れていない。あっちがドラマ撮影の時は俺は休みで、あっちが休みの時は俺が撮影だったりと、まったく都合が合わない。仕事では会うからまあいいか、なんてお気楽に俺は考えてしまっていた。
またゲーム実況を見るのに戻ってソファーに寝転び、暫くだらだらと動画を見ていると漸く楽屋の扉が開いた。スマホから顔を上げると予想していた通り北斗が立っていた。
「おー。北斗じゃん」
「だらだらしてんなぁ」
ソファーに寝っ転がった俺に声を掛けながら楽屋に入り、カバンを机に置いた北斗が辺りを見回している。俺はその様子が気になって動画を止め、少しだけ身体を起こした。
「まだ誰もきてねーよ」
「そっ、か」
それを確認したかったんじゃなかったのかと眉を寄せれば、歯切れ悪く相槌を打った北斗と目が合う。眼鏡をかけていない北斗の黒い目が俺をじっと見ている気がして、瞬間、嫌な予感がした。
「樹」
名前を呼んだ北斗の声がやけに色っぽくて面を食らう。この呼び方はメンバーとしてではなく、恋人同士の時の声だ。ねっとり、少し低めに、こいつは名前を呼んでくる。
「なに、なんだよ、」
突然の切り替えに流石に慌てない訳が無くて、動揺して呼びかけに答える。二人になったときにはからかう様にキスを求めたりすることはあったけれど、北斗は今までそんなことしなかった。万が一恋人同士の顔に切り替わっている時に他の誰かにうっかり見られたらと思うと気まずいだろうし、俺が甘い顔をしているのを他の人に見せたくないようで、北斗からこういう時に仕掛けてくることなんてほぼ無いはずだった。それなのに、今日は雰囲気が違った。
近付いて来た北斗に逃げ腰になって距離を取ろうとソファーの上で後ずさりすれば、北斗が隣に座って距離を詰め、腕を掴んできた。
「樹」
「待て、お前どうしたの、」
「いつも樹はするじゃん」
「そりゃ、俺は、……んっ」
後頭部に手が回されて固定されてしまえば逃げられず、止める暇もなく顔が近付いてそのまま北斗のあったかい唇が唇に、触れる。
何度も何度も確かめるように触れてくる唇に、肩を掴んで押し返そうとするのに北斗は止まらない。むしろ、北斗の熱は上がり、段々と俺も抑えていた欲望が顔を出し始めた。けれどその気になってきてしまうのが悔しくて、舌を入れられないように唇をきゅっと結ぶと、北斗はそれに気付いたのか至近距離でふっと笑い、吐息が俺の唇に当たった。その後ゆっくり唇の端から丁寧に北斗の舌がなぞって舐めていく。そのいやらしく煽るようなキスに身体の熱が上がっていき、北斗の肩を掴んで服を握り締めると、少しだけ緩んだ俺の唇の隙間から舌が割って入ってきた。
拒みたかったのに口内に入ってきた舌が俺の舌に触れると、艶めかしく絡まってきて、もう抗えない。口内を北斗の舌が好き勝手に這い、上顎をなぞると息が抜けてぞくぞくと背中に快感が走る。いつもより強引な北斗に胸がどきどきしていて、キスのせいで頭はくらくらする。北斗が舌を吸ってからやっと唇を離すと、至近距離で目を覗き込まれた。虚ろな顔で北斗を睨むと、もう一度荒く息を吐いた北斗から唇を塞がれた。
ちゅくちゅくと水音が楽屋に響いて、聴覚までも刺激される。歯列をなぞった舌が唾液を絡めながらまた舌に絡まってしまえば、これ以上はまずいと頭の中で警報音が鳴る。北斗の肩の服を何度か引っ張ると、漸く唇を解放してくれた。
「なに、樹」
「……は、これ以上、やんな、マジで勃つ、から、」
「あー、いまはそれ煽りにしかなんないごめん」
早口に言い放った北斗がまた唇を塞いで、俺の肩を掴んでいた北斗の手が肩からゆっくり身体の線をなぞっていく。そしてその手はそのまま腰を撫で、服の裾を探して入り込むと、隙間から手が肌を這っていき、慌てて北斗の手首を掴んだ。
まじで洒落にならない。いつ誰が入って来るかも分からないのに、理性を飛ばし掛けている北斗の手首を力いっぱい握ると、驚いた北斗が息を詰めて痛そうに顔を歪めながら顔を離した。
「いた、いたいって、じゅり……!」
「おまえ、まじで、」
痛そうに顔を歪める北斗に、痣になるとまずいからと力を緩めて手を離してやる。割りと痛かったらしく、手首を握り締めながら北斗が項垂れる。いつもならこんなことしてこないのにと溜息を吐くと、スマホを拾い上げて距離を開けるために真向かいのソファーに移動した。涙目の北斗が顔を上げると、その顔はいつもの北斗に戻っていた。
「なんなのお前」
「なんなのってさー……だって、全然あれじゃん」
「あれってなんだよ」
「全然プライベートで会えてないから、そういうの、してなかっただろ。だから、」
拗ねたように言った北斗が、ソファーに寄り掛かって恨みがましく俺を見てくる。そして、今度は北斗は捨てられた犬の様にちらちらと何かを訴えてくるから目を逸らした。
「ま、ぁそうだけど、」
「え、ちょっと待って、……え、もしかして、俺だけ?」
……まさか北斗がそう考えていたとは思ってなくて、明らかに動揺してしまった。北斗にも分かるくらい上擦った声を上げてしまうと、あからさまな俺の態度にショックを受けて声を上げた。俺は気まずさにちらりと北斗を見ると、明らかに悲しそうな顔をしていて流石に胸が痛んだ。これはまずいと目を泳がせながらどうにか頭をフル回転させる。
「北斗明日は仕事何時だよ」
「明日……?明日は、えーっと、俺は午後からだけど……」
突然尋ねられて北斗は訝しがりながらも顔を上げると、念のために確認したいのかスマホを取りだした。念のために日程を確認しているのだろう、操作した後で、「やっぱり午後からだわ」と北斗が言うと、なんとかなりそうだとへらりと笑って見せた。
「おー、そっか。俺明日休み」
そう言いながらへらへら笑っている俺の顔を、少しだけ眉を寄せて見ていた北斗がその意図に漸く気付いたのか目を少しだけ見開いた。そして嬉しそうに口元を手で隠すとニヤついている。恋人だけど、マジで気持ち悪い笑い方してる。
「……それって、そうだよな?正直いまそれが一番嬉しい」
「おい、その言い方俺の身体が目当てかよ」
「いや、本当に俺の性欲握ってんの樹だから」
北斗のその言い方に、思わずきしょ、と言い放つも、実のところ悪い気はしなかった。
心の中に広がる優越感が心を満たして、本当は嬉しいのだが言葉で取り繕って隠すと、北斗は、きしょいとか言うなよ!と嘆いている。
その瞬間、楽屋から騒々しい音が聞こえ、認識した頃には楽屋の扉が開いてマネージャーと他のメンバーが入ってきた。お互い少しだけ距離を開けて素知らぬ顔でみんなに挨拶を送る。二人っきりで無くなってホッとしていると気付かれないように、スマホに視線を落としてメッセージを打った。
お互いが仕事や用事で家に行けない時に落ち合う時に使っているホテルがある。そのホテルの名前をメッセージアプリで北斗に送り付けると、北斗は通知に気付き、口元を隠してにやけながらその画面を見ている。そしてちらりと俺の方を見る。その熱っぽい北斗の視線と目が合うと、俺は意味ありげに目配せをしてやった。
……マジであぶなかった。
たまにはちゃんと管理してやらないとな、と思いながらも、先程の強引なキスにきゅんとしたなんて、……喜んで俺の事抱き潰しそうで、絶対北斗には言えない。

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