願わくば

ジェシーは覚えていないかもしれないけれど、何年か前の今日は雨が降っていた。六月だから梅雨の時期だし、そういう日もあるのが普通だ。でも、その日の事ははっきりと覚えている。酔って俺が好きだと言ってしまった時、ジェシーは嬉しいと言ってくれた。友達として、家族として、メンバーとして。どの感情でそう言ってくれたのかは分からないけれど、それでもその一言は俺の支えだった。そのまま酔いつぶれてジェシーの家で目覚めた時に、起きて直ぐに気持ちを伝えてしまったことを思い出して頭を抱えるほど後悔したけれど、あまりにジェシーが普通だったから、忘れているかもしれないと自分を納得させた。そうじゃなかったら、恋愛感情の好きだとは判断されなかったか、大したことじゃないと思われたか、どちらにせよ何も考えたくなくて止めた。勝手に悩んで勝手に暴走したくない。俺にとってジェシーは神様みたいなもので、触れちゃいけない人だった。

「樹さ、ジェシーの事神格化してるよね」
皆の夢が叶うと分かったときに、セフレを全部切ったことを北斗に話した際に言われた言葉だ。話しの流れとしては、こうだ。
「凄いな、思い切ったじゃん」
「足引っ張りたくねーし、ちゃんとしたいし」
「まぁ、何があるか分かんないしね。でもその心意気は良いよ」
仕事の兼ね合いで二人になったときだったと思う。そんな話をしながらスマホを扱って、改めて友達一覧を眺めた。仕事関係の異性と女友達以外消してしまったこともあってかなりすっきりした。年頃だからそういう身体だけの関係だった人も俺には何人かいたけれど、北斗は彼女以外の人とはそういうことをしないやつだ。割り切った関係だけを望む俺と、そういう爛れた関係が嫌いな北斗では価値観も違っている。だからって、俺の事を否定したり蔑んだりしない。長年一緒に居るから、信用してくれているのかもしれない。
セフレを切ったことを褒めてくれた北斗が、続きを促すように「で?」と催促してくる。別に続きは無いけれど、何となく口を開いた。
「なんか、前は漠然と不安があったけど、やるしかねーって今は思ってるし」
「……そうだな」
「ジェシーの邪魔にはなりたくねーし」
「……え、ジェシー?」
突然出て来た名前に、北斗がびっくりして聞き返してきた。色んなことを考えながら話していたせいか、思考が飛んで口走ってしまった。もう出してしまった名前を引っ込められず、「何だよ悪いかよ」と言うと、「はぁ~~」となにかが腑に落ちたかのように腕を組んだ北斗が気持ち悪く笑っている。
「分かんなくはないんだけどさ、」
「あ?」
「樹さ、ジェシーの事神格化してるよね」
前置きした北斗が嫌な間を開けて言ったのが、この言葉だ。
メンバーのみんなも勿論大事だ。家族と同じくらい一緒に居て、長い時を過ごしているみんなは掛け替えのない存在で、だけど、ジェシーはその中でも特別だ。それでも神格化という言葉自体には違和感を持ち、「なんだよそれ」と返して誤魔化したけれど、そう言われて数年が過ぎてから今更、的確だったなと振り返って思う。悔しいから北斗に言う事は無いけれど、たまにふと思い出す言葉だった。
それからぼんやりと特別な存在だと思っていた気持ちが、少しずつ明瞭になっていったのはずっと見ないふりをしていた感情の名前を、認めざるを得なくなったからだ。かっこいいとか可愛いとか褒められて、認めて貰う度に実はかなり嬉しくて、意識してしまうことが何回もあった。そんな一つの言葉で一喜一憂する自分に気付いて、女子にも抱かなかった恋愛よりも深い感情を認めた瞬間、ああそうだったのかと納得できたのと、どうしようという迷いが生まれた。
ずっと一緒にいる相手だ。気まずく思ったりしてしまうかもしれない。そう思いながらも一緒に過ごしていると、気持ちの逃がし方も上手になってきた。ただ、雑誌で密着するコンセプトの時は役得、なんて思ったりもして。邪な気持ちたっぷりで、たまに自己嫌悪することもあったけれど内心ではいつもガッツポーズをしていて、恋心を楽しいと思えていた。
ずっと一緒に活動する時期が多いかと思えば個人仕事が重なって全然会う事がなかったり、そういうことがよくあって、会わなければ会いたいと思ったり、片想いを拗らせ過ぎて会いたくないのにと、平静を装ってはいるけれど感情はなにかと忙しかった。
俺の気持ちは言わないでいい、そう思っていた。誰かと付き合ったとか良い感じだとか、女性を紹介されたとか、誰と呑みにいったとか、そういう日常会話は前から聞いていたし、嫉妬はしても嫌だとは思わなかった。だって、それが普通だから。俺が制限する事じゃない。出来る事じゃない。
だから、墓まで持って行くつもりだったのに、酒に酔い過ぎてポロっと口から零れてしまった。飲みながら色々語って、アルコールで気持ち良くなって、雨が降っているのに湿気が入るのを気にせず少しだけジェシーが窓を開けた。そんな空間が愛しくて、自然と出てしまった言葉だった。
「ジェシー、俺さ、ずっと好きだった」
ふにゃふにゃとアルコールで頭が麻痺していたと思う。ザーッと聞こえる雨音の響きが心地良く、光が反射した雨をぼおっと見つめていたジェシーの横顔が、あまりに綺麗だったから伝えることがごく自然に思えた。だって、誰だって好きになる。俺が好きだからそう思うわけじゃない。きっとみんなが彼を好きだ。報われなくてもいい、そんな風に思いながら、伝えてしまった。

でも、結局伝えたところで俺達は変わらなかった。嬉しいとは言ってくれたけれど、変わることは無かった。何かを言おうとしてくれたけれど、あの日もすぐに寝てしまった。
ただ、言ってしまったことで自分の中で何かが吹っ切れたみたいだった。
それから、数年経って、今年もまた梅雨が来た。俺の誕生日がある月だ。そして、俺の好きな人の誕生日も。幸い、俺とジェシーはレギュラーがあるからその収録がある日はどんなに個人仕事が多い時でも会える。みんなで居る時も楽しいけれど、二人での楽屋はまた特別な物だった。

一本目の収録が終わり、二本目が始まるまでの休憩中、自販機で飲み物を買って楽屋に帰ると先程までいた筈のジェシーがいないことにすぐに気付いた。仲が良い人が近くの楽屋にいたのかもしれない。挨拶にでも行ったのかとエナドリの缶を机に置いてソファーに座った。
昨日は少し遅くまでゲームをし過ぎたと、自覚はある。眼を擦りそうになってメイクが終わっていたことを思い出して止めると、背もたれにズルズルと寄り掛かりながら落ち、ソファーの上でそのまま横になった。誕生日どうすんの、とかそういうことを何気なく聞こうと思っていたけれど、聞いたところできっと予定が入っているはずだ。きっとあの人とか、はたまたあの人がパーティーとかしてくれるんじゃないか。それならそっちの方がきっと楽しいよな、メンバーで事前にそういう動画を撮っているし、もう祝ったも同然だ。そんなことをうだうだと考えながら、変に嫉妬し出している自分に気付いて溜息を吐いた。
こういう自分はあまり好きじゃない。考えたってどうしようもないこと、解決しようがないこと。気持ちを優先しすぎるても良い事は無い。そうやって静かに感情を押し殺す為に目を瞑った。
収録が再開されるときにはスタッフさんが呼びにくる。その前にマネージャーのだぁくんが声を掛けてくれるはずだ。少しくらい寝たって良いよな。そう考えているうちにすぐに睡魔が襲ってきた。そのまま眠りに落ちかけた時、楽屋の扉がガチャ、と開く音がした。
「あれ、樹?」
ジェシーが帰ってきたようだ。どうやらソファーに寝転がっているから死角になっているらしく、俺がいないように見えているのだろう。
名前を呼ばれはしたが、このまま起きずに気付かなかったふりをして寝てしまおうかとも思った。けれど、なんとなく重たくなった瞼を開き、背もたれを掴んで身体をゆっくりと起こした。
「いるよ」
「いた、びっくりした。どこに行ったのかと思った」
「んー、眠くて」
まだ眠気が取れたわけじゃない。そのせいで頭がぐらぐらしているし、なんなら瞼もまた落ちそうだ。起きないと、そう思って溜息を吐くと、買っていたエナジードリンクを引き寄せた。
「今さっきお弁当食べたもんね」
「そのせいもあると思うわ」
くわっと大きく口を開けて欠伸をすると、片手でプルタブを開ける。その間ソファーへ回ってきたジェシーが、俺の隣のソファーにどかっと座った。俺は少しだけ意識しながら缶に口を付ける。俺の様子を見ているのだろう、その視線に戸惑いながらちらりと横を見る。案の定、隣に居るジェシーと視線が交わった。
「眠そうじゃん」
そう言って、目にかかる俺の前髪を、そのまま耳に掛けられた。俺の顔が良く見えるようにか、耳朶を掠めた指に、顔が赤くなりそうだった。こんなスキンシップならいつもするのに、何故か反応してしまっているのは意識しているせいかもしれない。
いつものことなのに、意識するのは、変な夢を見たせいだ。
よく覚えてないけれど、ジェシーと恋人同士になっていた。手を繋いで、抱き合ってキスをして、体に触れ合い始めたところで目が覚めた気がする。
起きたくないと思ってしまうほど幸せで、叶うことのない夢だった。
だからか、ジェシーに見つめられるだけで変な気を起こしそうだ。
動揺して、目を泳がせた俺にジェシーは目を丸くして、先程より近くで顔を覗き込まれる。ぎょっとする俺に構わず、心配そうな顔をしている。
「ちけぇよ、」
笑って誤魔化して体を引くと、ジェシーもヒヒッと笑って離れた。
この距離を超える時はないかもしれない。絶妙な距離感にもどかしくもあるけれど、これでいいと、いつも飲み込む。
「どこ行ってたんだよ?」
「あー、せいちゃんがいたから」
「マジで仲良いよな」
そうやってなんでもない会話をして、いつもの自分に戻る。エナジードリンクの缶に口に付けると、カラカラになっていた喉が潤されていった。
ジェシーの誕生日から俺の誕生日になるまでの、そのたった日数だけは同い年になれる。それだけでいつもよりも近くなったような気がする。
来年も再来年も、そうやってこのたった数日に縋って、生きていくのかもしれない。
また、好きだと伝えられる日が来ても、きっと変わらないから。

「周りから見てたら、お前ら両想いなのに」
目の前の髙地が少し苦笑いしながらそう言った。
樹と二人での仕事の後、メンバーとの仕事があり移動すると、既に何人かは楽屋に着いていた。北斗だけ前の仕事で遅れていて、来るまでに少し時間があった。
樹は眠かったのか、時間になるまで寝るとソファーに横になり、俺と髙地だけ少し楽屋を出て話をしていた。
髙地には唯一、樹とのことを話しているし、相談している。
その髙地の言葉に苦笑いをして、壁に凭れた。いつまでも同じことで悩んでいる俺に、呆れた顔をしている。
「そもそも、一回告白されてるんならいけるだろ」
「……俺も恋人になりたかったよ」
何度も話しているこの話題に、溜息を吐く。
樹が好きだと言ってくれたあの日、樹は覚えていないかもしれないけれど、俺が嬉しいと言ったあと、「なら良かった」と、そこで終わらせられた。俺が話そうとするのを止めて、「いいって」と突き放されてしまった。現状に満足しているとでもいうように振る舞われて、拒否されてしまったら今の関係が崩れそうで踏み込めなかった。
俺は臆病者なのかもしれない。
自分なりにいろいろアプローチはしてみた。恋愛対象だと言ってみたり、褒めたりしてストレートに伝えてきた。
それでも樹には届いていない。嬉しそうにしてくれるのに、まるで自分のことでは無いみたいに伝わっていない。
「北斗が前に言ってたぜ、樹はジェシーを神格化してるって」
「神格化?」
「神様みたいに思ってるってこと」
「…かみさま」
そんなに、いいモノじゃない。出来るならば樹と手を繋いだり、抱きしめたり、キスをしたいしそれ以上もしたい。そう思っているのに。
「人間になりたい」
「はは、」
呟いた俺に、髙地が笑う。最初は俺の樹への気持ちに反対していた髙地も、うだうだとしている俺を見ていると歯痒くなってきたらしい。今は受け入れて、背中を押すようなことまでしてくれる。そんな髙地に安心するし、わかってくれているから居心地が良い。樹には話せない本音も話せる相手だから、信用している。
「けどまぁ、樹も樹だよな。ジェシーが俺の事を好きになるハズないって思ってそうだもんな」
他人事だとにやにや笑っている彼に何も言い返せず眉を寄せると、「泣きそうな顔で見るなよ」と、さらに笑い始めた。
俺は溜息を吐いて俯く。どうしたらいいか、お手上げだった。
「まぁ、待つしかねーよな」
髙地の言う通り、全ては樹次第だ。無理やりこじ開けたらきっと、俺から離れてしまう。
俺の事を拝むんじゃなく、手を広げてくれたらすぐに抱き締めるのに。
「そういえば誕生日なに欲しいよ」
「……じゅり」
「それは本人に言え」
願わくば、また好きだと伝えて欲しい。変わりたいと思っているのなら、俺に見せて欲しい。俺はずっと、隣にいるから。

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